んと元気な直売所・百菜.jp ホーム > 徳之島の紹介
これから挙げていく“元気の素”は、長寿世界一で子宝日本一の徳之島が、どのような要因で今の島の成り立ちになったのか、子供達もおじいちゃんおばあちゃんも元気に暮らす所以はどこにあるのか、特にこの島を初めて見聞きする方々へ、ご紹介の意味合いも兼ねて書き連ねてあります。もちろん紐解けば、さらに奥深く、まだまだ知られていない事柄も多くありますが、ほんの入り口と思って読んでみてください。
そして、いつかこの島へ来て、ご自身の目と感覚で確かめて頂ければ、ありがたいです。情に厚く深いもてなしの心を持つ島の人たちは、諸手を挙げて歓迎してくれるはずです。そんな徳之島で、癒されてみませんか?
いろいろな要素の中で、一番元気なのはやはり島んちゅでしょう。どの地域にも個性的な人というのは存在しますが、この島の個性人はその独自性も人数も特筆に値するのでは...と思われます。島の歴史と自然と未来を語ってもらったら島内随一、宇宙人のような縄文人のような感性を持つ方、本業はバイト禁止なはずだけど本当の本業は音楽活動??な方、町長時代にトライアスロンを島で実現させ、以来連続22年間出場している方、島の歴史・暮らし・人々を写真で追い続けている方、120歳長寿世界一にして「好みのタイプの方は?」「年上の人...」と答える方、ほかにももちろんもっともっとお写真や名前入りでご紹介させていただきたい方々がこの島にはたくさんいらっしゃいます。
道端の木陰で夕涼みしている人たちも「こっちにいらっしゃい」と必ず声をかけてくれ、人が集い、三味線があればそこには必ず島唄が聞こえてきます。会う人全ての一瞬の表情も、つい写真に残しておきたいな、と思わせる場所です。そして何より、子供たちが子供らしく元気に素直に育っているのが徳之島の元気の証です。
島の地質面での成り立ちを、大きく分けると、約6500万年前の黒雲母花崗岩からなる地質と、約200万年前頃に海底から隆起してきた珊瑚を基盤に持つ地質が、特徴的な景観や土壌、そして水質を作り上げています。前者を基盤層にもつ島の中央~北部にかけては、弱酸性の水が山を浸透して流れてきます。一方で後者を基盤に持つ西部~南部にかけては、隆起性珊瑚の中を通り抜けてきたカルシウムを大量に含んだ水が、泉や湧水の形で存在します。特に後者の水質は地点によっては主にカルシウムの含有量の高さゆえ、pHも高く、フランスのエビアンというミネラルウォーターを同レベルの硬度(300mg/L!)を持つ水道水もあります。
島内の外科医のお話によると、島の人は骨が強く、頭蓋骨は他の地域の1.5倍くらいの厚さを持つ人も多いそうです。日本人に不足しがちなカルシウムを、水道から摂取できたり、違う場所へ行けば、美味しい軟水が飲める島の水は人々の健康に大きく貢献していると考えられます。
亜熱帯海洋性気候で、通年温暖な気候です。平地では1年を通じて10度を下回ることがないので、霜も下りず、25度以上の日が110日間もあり、常夏と呼ばれる所以です。梅雨は5月には入り、6月には梅雨明けして即夏に入ります。1年を通じてこのような気候なので、農業に携わる人などは日差しの強いお昼前後は家にいて、早朝と昼下がり以降に働きに出る姿も見られます。
あまりに暑くて過ごしにくいのでは、と想像されるかもしれませんが、実際には日陰にさえ入れば海からの風や山からの風が通り、木陰や家の中の風通しが良い場所であれば、扇風機さえ必要ないくらいです。霜の降りるような低温期もなく、寒さに凍えるということもないので、このような温暖な気候が島の人たちに、ゆったりとした気持ちを持たせていると思われます。
この地域の地殻の動きなどを何千万年単位で見てみると、地球の表面(大部分は海底)というのは生き物のようにうごめいていて、途中で噴火や流出を繰り返し、今の姿があります。ここ奄美群島も中国大陸と地続きだった時代があり、また現在の東シナ海が大陸の中の湖だった時代もあります。
また気候の変動も大きく、このような悠久の時間をかけて、生物はその土地と気候に合わせて進化を遂げ、現在の姿や多種とのかかわりを作り上げています。もちろん人間とて例外ではありません。
この島には、世界中で徳之島と奄美大島にしか存在しないアマミノクロウサギ(昭和46年に第1号の国指定特別天然記念物に指定)や、国指定記念物のケナガネズミ、アカヒゲ、カラスバト、また2006年に京都大学の研究チームによって新種と特定された、トクノシマトゲネズミなどが生息しています。 植物に関しては奄美諸島に分布する野生植物のうち、16%が絶滅危惧種として指定されているのが現状です(2000年環境省発行 「植物レッドデータブック」による)。この中でも徳之島にしか自生しないハツシマカンアオイやトクノシマカンアオイ、トクノシマエビネなどはこの島から消えてしまったら、それはこの地球上から消えてしまうことを意味します。
そしてこの地域の自然環境の特質性が専門家によって認められ、2007年に世界自然遺産候補地として小笠原諸島とともに認定されました。今後はいかにして、この自然を保全していくか、その点が問われます。
徳之島DATAにもあるように、徳之島の代表的農業生産はサトウキビ・野菜・肉用牛・果樹で、年間約137億円を売り上げています。日本の大部分の地域では、春先に作付、夏から秋にかけて収穫、というサイクルですが、亜熱帯気候のもと、徳之島では秋口に作付、11月頃から春にかけて青物野菜の収穫ピークを迎えます。特にジャガイモは「春一番」の名前で春先に店頭に並び、日本列島リレー栽培の中では文字通り一番最初に収穫、出荷されます。近年では9月作付、12月収穫、続けて1月作付、4月収穫と2期作を試みる農家も増え、長崎産や北海道産が出回る前に「徳之島産」として店頭に並ぶことも多くなっています。
また夏場から秋には、パッションフルーツ、グアバ、マンゴー、パパイヤ、ドラゴンフルーツ、パイナップル、アテモヤなど、徳之島は熱帯フルーツの宝庫で、贈答品に大人気です。
今後は、これら1次産業と2次産業、そして3次産業を組み合わせて地域の特産品を開発し、宣伝し、販売する、という第6次産業化が不可欠であり、直売所百菜もそのための仕組み作りに日々奮闘しています。
これまでの調査でも、徳之島3町は押しなべて上位を維持してきた合計特殊出生率(女性1人が生涯産む子供数の推計値)ですが、平成21年1月30日に厚生労働省から発表された結果が以下のようになりました。
市町村単位で見た時、最下位が東京都目黒区の0.74で、日本の平均値が1.31であることを考えると、徳之島は文句なしの「子宝の島」と言えます。ちなみに4位も、お隣沖永良部の和泊町(2.15)でした。
この結果が出た直後から、島には、特に日本一になった伊仙町には、メディアの問い合わせが相次ぎ、TV局や新聞社の取材も増えています。質問は一つ「何が日本一の出生率を誇る要因なのですか?」実はこの問いに対する明確な答えを持つ人は、島内にも殆どいません。確かに子育て支援金など行政としての支援策はありますが、それだけでは説明のつかない数字的な事実があります。
島には「子やたぼらゆんしこ(子供は恵まれるだけなるべく多く生んだほうがいい)」という諺があり、実際に「子は宝」と言って、多く生まれる子達を、その家族だけではなく周囲の親戚、友人、地域の人々が分け隔てなく面倒を見、大切に育てる文化があります。
日本一の要因は数多くあるかとは思いますが、やはりこれまで島で受け継がれてきた、このような気持ちと社会の中に、その一番の理由があるのではと思われます。
島の多くの男性は、「日本一よりも全島一」の心持で、島内一強い闘牛を育て上げることにエネルギーを注いでいます。小学校に上がる前から、家の手伝いも勉強も、そして牛の世話もきちんとやることを条件に、自分の牛を与えられる子供もいます。これが”小さな大人“である男の子にとっては名誉なことで、毎日牛小屋へ通って掃除をし、餌を与え、中には体重800kgを超える闘牛の散歩を任される子もいます。徳之島では、県道をトラックよりも悠然と歩く闘牛に会うことも稀ではありません。
重量によって軽量級から横綱級まで分類されるトーナメント戦を勝ち抜いた時には、牛を乗せるトラックに家族全員が牛と一緒に乗り込み、「ワイド!ワイド!」の掛け声にラッパを鳴らし、県道から広場まで、喜びの雄たけびを上げながら練り歩きます。その様子たるや歩みを止めて見入るほどの迫力と歓喜の波を感じます。
このような戦う牛をもつ家庭では、牛は家族と同等に扱われ、父や祖父が世話をして闘牛に熱中する様子を見て、またその子供たちが生物に対する愛着や、他人と力を合わせて一つの目標を成し遂げる力を育んでいきます。闘牛は格闘であるだけではなく、古くは信仰と慰みの意味合いを持つ非日常の祭りでもあります。
長寿の要因として、カルシウムの豊富な水や温暖な気候と並んで、ミネラル豊富な土壌とそこで育まれた食材が挙げられます。近年では海水から抽出したにがりを希釈して、農場へ散布する農家さんもいらっしゃいますが、この地では海からの風に乗って海水のミネラルがそのまま運ばれてきます。
そんな島の土地で育った食材のミネラルとビタミンの含有量は、島外の同じ野菜のそれよりも数倍高いものがあるという栄養学研究者の指摘があります。食は文化であり、この伝統の大切さを子孫へ伝え、これまで培われてきた健康と長寿を維持するのが、島で暮らす私たちの役目と考えます。直売所“百菜”は、皆さんの健康づくりを手助けするために、新鮮で安全な島の食材を提供しつつ、このような知られざる事実を消費者と生産者の皆さんへお伝えする役割を担っています。
この島に移住した人間であれば、誰でも驚き、そして温かい気持ちになるのは、近隣の人々の素直で思いやりのある言葉掛けです。道を散歩していても「子供さん大きくなったね~」とか「今日はどちらまでお出かけですか?」など、“出会った人は皆知り合い”であるかのように、いつでもどこでも声をかけてくれます。そして黙って人の家に、採りたて野菜を大量に置いていってくれたり(でも名前が無いのでお礼を言えない!)お土産を渡しに訪ねて行ったら「これを持って行きなさい」と手に持てないほどのお土産を帰り際にくれたり(あげに行ったんですけど!!)、そんなことが日常の一コマとして起こります。
お店に入れば知り合いがいない場所はなく、必ず隣かその隣のテーブルの一団と話が弾み、結局みんなでご飯を食べていたり、子供連れであればいつの間にか他の人が面倒を見てくれて、親は楽しく話しこんでいたり、おそらく現代の都会では信じられないような、人を信頼する風土が今も残っています。これもこの島の出生率が高い一つの要因かもしれません。
徳之島には数々の伝統行事がありますが、中でも平成13年に鹿児島県指定の無形民俗文化財に指定された井ノ川集落の「夏目踊り」は、元々旧7月の盆が済んだ丙の日に浜へ下り、戊の日に集落へ帰る、集落総出の一大行事です。これは、親族一同でご先祖様へのお墓参りをし、一緒にネィラの神(目に見えぬ海の彼方に最も尊い土地があるという信仰)や海の神へ願いを立て、夜も更けてから夏目踊りで集落全体を練り歩き、一晩かけて踊り明かす行事です。
男性が輪の内側で太鼓をたたきつつ踊り、女性がその外側で唄い踊り、小さな子供たちから年配の方まで、全員一緒になり各家々を一晩かけて回る姿は、信仰と結びついた集落の結びつきの強さを目の当たりにさせてくれます。他に手々地区の「ムチタボリ」、犬田布地区の「イッサンサン」はどは、島の古くからの伝統行事の形を今に伝える、代表的なお祭りです。
「ハブ酒」と聞くとどんな姿を想像されるでしょうか?奄美の地域の中には、生きたままのハブを漬けた焼酎を精力剤の代わりに飲んだり、ハブの身を汁にして飲むと良いとする養生の方法が今もあります。ハブの毒は、主にタンパク質を溶かす物質で、血管組織を破壊する出血毒に分類されます。この種の毒をもつのはマムシやガラガラヘビなど、世界的にも有数の猛毒種で、この地域の人々も「ハブには気をつけろ」と気を使って農作業や庭仕事をしています。
変温動物のハブには、活動に最適な温度があり、一日の中でも温度と日照を感知しながら活動しています。徳之島の亜熱帯気候下では、6月~7月の初夏、9月~10月の秋頃が最も活動に適した気候のようで、この時期に咬まれる被害も多くなります。その姿や被害から嫌われることの多いハブではありますが、ここ奄美群島の、悠久の時間をかけて形作られた生態系の頂点に君臨するハブの存在は、希少でもあります。
人口 | 27,167人(H17国税調査) | |
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面積 | 247.91km2 | |
周囲 | 89.2km | |
年平均気温 | 21℃ | |
年平均降水量 | 1920mm | |
最高高度 | 645m(井之川岳) | |
土地利用 | 【耕地面積】 6,960ha(28%) 【森林面積】 11,185ha(45%) |
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主要河川 | 秋利神川(13km) | |
主要産業 | 【水産業】1.2億円(H18年度) 【農業】137億円(H19年度) サトウキビ 50億円 |
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代表的年間行事 | 1月 | ●全島一闘牛大会 |
4月 | ●海開き | |
5月 | ●黒砂糖祭り(徳之島町 畦) ●全島一闘牛大会 |
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6月 | ●トライアスロン大会(島内一周) | |
7月 | ●夏祭り(伊仙町) | |
8月 | ●どんどん祭り(徳之島町) ●夏祭り(天城町) ●夏目踊り(徳之島町 井之川) ●ムチタボリ(徳之島町 手々) |
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9月 | ●イッサンサン(伊仙町 木之香・犬田布) ●十五夜祭り・豊年祭(各集落) |
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10月 | ●全島一闘牛大会 ●町民体育祭 |
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11月 | ●文化祭・農業祭 |
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